和牛のいる生活

北海道で牛飼いの勉強中です。

0828 / ありがとうの過剰要求

こんばんは。もうすっかり秋の空。短い晴れ間を狙ってちまちま牧草を刈っている。今回刈った分は無事巻けそうでひと安心。

◆8月28日(日)
夫は休み、私は出勤。幸い二日酔いにもならず起床できた。
のそのそひとりベッドを抜け出して着替えて牧場へ。朝の作業を済ませて帰宅すると、ちょうど入れ違いでお友達が家を出るところだった。
リビングには前日の飲み会の残骸が残っている。まずはこれを片付けよう……とオードブルの残りを口に放り込みながら洗い物を済ませる。シンクにめっちゃ空き缶あった。16缶くらいあったかな。
ゴミも捨てて、テーブルも拭いて、原状復帰完了!これは夫も文句ないだろう、とゆかりごはんオンリーの朝ごはんを食べる。なんかたくさん食べたい気分だったのでおかわりもして、醤油をたらして食べていると、夫が起きてきた。

どうだ~片付けしておいたぞ~~と思っていたら特に何も言わずソファに座ってスマホを見始める夫。うん、そうだよね片付けくらいやって当然よね……と思いつつ、さすがにさ~私昨日からずっと準備してるのにさ~~それにも文句つけられてさ~~早起きして牧場の作業もやってるのにさ~~どうなのよその態度?何も思わないわけ??という気持ちがだんだん大きくなり、でもこのイライラを寝起きかつ空腹の夫にぶつけても最悪の結果になるだけ、と思ってこらえていたところに「いや不機嫌すぎでしょ、なんなの?」と言われて怒りがスパークしてしまう。
なんなの、と言われたから答えてたのに途中から「だるw」「こっちは余裕ないんだからさあ」と言われてもう本当にムカつく。1回でもありがとうって言ってくれてたらこんなことになってないんだよ!私だって余裕ないあなたのフォローで余裕ないんじゃい!でもお礼は強制するものじゃないし、体力的には夫の方が絶対きついし……と自分でワケわからなくなり始め、言いたいことが伝わらない悔しさで涙が勝手に出てくる。

が!余裕ないにしても、仕上がりに不満があったとしても、準備や片付けをやったことに対してひとこと欲しかった、と伝えた。とりあえずひと段落。
そうこうしていたら貴重な朝の仮眠タイムがなくなってしまった。午前中は牛舎の掃除をして、午後はずっとお昼寝。歯がとうもろこしの粒みたいに数本ずつぼろっと抜ける夢を見た。何らかが示唆されていそう。

そしてなんとなく考える。私って、お礼ほしがりだよなあ。何なら感謝されるために、褒められるために、行動を選択しているとこまである。
いきすぎたこの行動原理のせいで自分のキャパ以上の要望を受け入れてしまうし、自分のやりたくないこともやってしまう。そして期待した感謝や褒めが得られないと勝手に落ち込んでしまう。形のある褒め言葉を求めて、かつてmixiではひたすらマイミクに紹介文を書き、自分へのポジティブな紹介文を書いてもらって自分を納得させていた(mixiには「このユーザーはこんな人です」と紹介する機能があった)。
きっと小さいころのあれこれが関係していると思うんだけど……褒められに対する思いが強すぎるのと、特に突出したところがなかった幼少期を過ごしたこともあって、第三者に直接褒められた瞬間はものすごくくっきりと記憶に残っている。中学生の英語の時間に遊んだパズルで私だけ「tie」という単語を見つけられたこととか、小学生の算数の授業で「5」を作るための数字の組み合わせを探そう、という取り組みでいちばんに「5+0」を見つけたときとか、高校生のなんかの授業で言葉だけを頼りに商店街のお店の並びを正しく並び替える、というゲームをしたときに私たちのチームが誰よりも早かったとか、そういう小さなことばかり。

あれもこれも、自分で自分を認められないからこんなことになっているんだよな。
今回のいざこざのあと、夫がちょっとしたことでも(ややネタ的に)「ありがとう!」と言ってくれるようになって私はとても嬉しい。「え、ありがとうって言えばなんでもいいんかい!w」と夫は笑っていたが、あながち否定できない。
帰省したときに(たぶん同じく自己肯定感をこじらせている)弟が「自己肯定感が低いと、自分の価値が他者の評価に依存してしまう」と言っていたが、本当にその通りだと思う。自分に自信、持ちたいよねえ。自信までいかずとも、他者に確認しなくても自分はこのままでいいんだと思いたい。

そんなことを考えながら夕方の作業を済ませ、シャワーを浴びて料理。
何を作ったんだっけ。ささげと豚肉の甘辛炒めとフライド大根、ちくわとキャベツのマヨチーズ焼きだな。フライド大根がとてもおいしくできて満足。
晩酌しつつブログを更新して就寝。

===

今日はお休みだったけどなんだかんだ働いたな 笑
それではまた👋