和牛のいる生活

北海道で牛飼いの勉強中です。

実は近眼です

こんばんは。今日は目がゴロゴロしたので早めにコンタクトを外した。
私は筋金入りの近眼なので何も見えない。この記事もパソコンに異常に顔を近づけて書いている。
なんちゃってタッチタイプでやらせてもらってます。顔を近づけすぎてモニターとキーボードを視野におさめきれないので。笑

コンタクトの度数はマイナス6.5、裸眼での視力検査だといちばん上のランドルト環が見えず、紙に印刷された巨大なランドルト環を持った看護師さんが近づいてきて、見えたところで答えるというシステムを採用される。
視力でいったらどれくらいなんだろうな、もっと悪い人もいると思うけどなかなかの悪さだと思っている。

私の近眼に気づいたのは、母だった。
私が書くひらがなの「お」、そのすべてに右上の点が書かれていなかったのである。
母も相当な近眼だから、見えていない可能性にいち早く気づいたのだと思う。
かくして私は小学校低学年にしてぶあつい眼鏡をかけることになった。
当時はまだレンズの加工技術も発達しておらず、近眼度合いに応じたすさまじい分厚さのレンズで、眼鏡の部分だけ輪郭がきゅっと内側に入って目も小さく見えていた。
時代に応じてのび太くんとかハリーポッターとかペヨンジュンとか、いろんないじり方をされてきた 笑

思春期に入り、唐突に「私眼鏡ない方がいいかも」と気づいて写真撮影のときだけ眼鏡を外すようになり、じきにコンタクトをつけるようになった。
コンタクトは非常に快適だが、眼鏡の方がいいときもある。見たくないものがあるときや緊張するときである。
私はときどき授業でゲリラ的に見させられるドキュメンタリー(戦争や貧困を扱ったもの)がとても苦手だった。見なければいけないのは分かっているけれど、どうしても苦しくて直視できなかったのだ。
そういうときは眼鏡をはずし、音声とぼんやりした映像を鑑賞することにしていた。じゅうぶんビデオの趣旨は伝わったと思う。
また、習っていたミュージカルの発表会など緊張する局面でも眼鏡を外した。客席が見えなくなるのでひとりで歌って踊っている気分になれる。

今は身体を動かす仕事をしているのでコンタクトの視野の広さが手放せないけど、夜中の分娩対応とかは眼鏡があった方がいいなと思う。
コンタクトを外しているとき用として使っていた眼鏡がだいぶ古くなって度が合わなくなってきた気がするし、そもそもどっか行っちゃった 笑
というわけで近いうちに眼鏡作りに行きたいなあ。

皆さんは目、いいですか?
それではまた👋